# アクティビティ
1【2017年12月21日】画像はみんな大好き、my bloody valentineのアルバム「loveless」ですが、この愛なき世界について。 - インターネットに関連するインフラ(ネットそのもの、PC等のデバイス)の処理能力が上がり、SNS等のプラットフォームが洗練されてきたことで、いわゆるLate Majorityより後ろ側の人たちが個人で発信できる世界になりました。 - 更に、発信することでお金を手に入れられる時代になりまし。VALUのようなモデルではなく、いわゆる広告モデルのことです。バズることは、個人がメディアとして価値が上がったことを意味します。 - 僕は、人間の”自己”というものは、自分という肉体機能だけでは認知・認識ができず、何かを思考した結果を発信してその反射を見ることで初めてできる、そして、前提として人間は”自己”を認識する欲求がある、と思っています。それを承認欲求と言い換えられるかもしれないし、ギリシャの哲学者が回廊を連れ立って散歩したことに象徴されるかもしれません。 - その欲求にお金がつくことによって状況は加速。人々はこぞって発信するようになりました。僕が目の当たりにしているのは、人の業です。思考に主観が入るとそれは個人間で相対的になります。1.2億人いればそれだけ違う発信が存在することになります。 - それらがSNSなどのプラットフォーム上で衝突します。過去とは比べ物にならないくらいの頻度で。更に広告が絡むため、論理筋ではなく欲望から生まれる意図が乗ってきます。 - そこまでは良いです。世界中で起こり得ることです。ここからは日本人特有の問題。僕らはこういった衝突を解決するすべを持っているのでしょうか。特に、巨大なプラットフォーム上において。 - 極論として、影響力の強い個人の思考に裏付けられた発信があり、当然ながらそこに相対する個人との利害が対立している訳ですが、根本的な解決手段が無い中で、その発信について何かの枠を作って型にはめていくことになりますが、それが世の中として最適な像になるのでしょうか。 - 今回は問題提起しかしません。 皆さんはどう思いますか?

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2【2017年12月18日】僕のInstagramの最初の写真。このポストをした時点から約5,300枚をタイムマシンで遡るとここに戻る。もはやこのビルが何のビルか思い出せないけど、恐らく、上海は虹橋路駅の近くにあるマンションだったようなおぼろげな記憶がある。 - 当時の自宅の最寄り駅だった虹橋駅の周りは取り壊しと開発が急ピッチで進んでいて、この高層マンションの周りは平地、そこに生える草。そして後ろに見えるはクレーン。このコントラストが自分にとって中国を象徴するものだったのでスマホを向けたんだと思う。 - 上海の街はどこもかしこも人だらけ、と思われがちだけど、圧倒的に巨大な構造物や静物がそこにあり、驚くほどのスピードでそれが変化していきつつ、その中で相対的に変わらない、喧しい上海人や地方からやってきた人たちの声だったり、その中に脈々と受け継がれる性質だったり。 - ファインダーの中と外の大きさと速度の違いが、濃密に感じられるのが僕にとっての大陸。くるりが「琥珀色の街」と歌うのは、この辺を直感的に見て取ったのかなと。そこには鮮やかな色があり、音が寄り添う。東京からどんどん失われていくものがそこにはあって、そして、それは上海からもどんどん失われていくんだろう。

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3【2017年12月17日】僕が今、ビジネスでもプライベートだとしても、自分として納得してお仕事をさせて頂いていたり、納得して(?)付き合わせていただいている(?)友達なのかな、パートナーなのかな、同志なのかな、よく分からないけど、います。何人か。 - その人たちに共通するのは、いや、その共通する人たちが共通して僕と付き合ってくれている、そういう人たちに共通しているのは、僕が、彼・彼女たちの極限を見ているということに尽きる。 - 僕は、彼・彼女たちの心の叫びを知っている。彼・彼女たちが、こののっぴきならない世の中で、自分を奮い立たせ、複雑な関係性の中で、孤軍奮闘し、仲間がいて、でも、一人で、独りで、あがく、あがく、それでも見えない先の何かを信じているからこそ、怒る、喜ぶ、喚く、頼る、そして、最後に愛する…。 - 僕はそういう人しか信じていないと思う。僕が喜怒哀楽を、彼・彼女が喜怒哀楽を、それがどんな表現形態だったとしても、僕と彼・彼女の間でかわされる、そういう瞬間を、大人だからと行って、恥ずかしいとかそういうのもある中で、それでも交わす。そういう間だからこそ一緒にいられる。そういうことでしか無いっす。僕は。不器用だし、ダサいし。 目を見て、眼を見て、生きていくしかない。 - 俺らは、俺らの奏で得る音楽を奏でるしかない。 それで生きていくしかない。 それで、このクソみたいな人間の小ささと、時間の偉大さに向き合うしかない。 - おとをつくってよかったよ。 ありがとう。

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4【2017年12月15日】2011年頃、中国は北京にて雨に煙る空気の中をタクシーで、国貿付近の高架路を走って通り過ぎている時…だろうか。なぜこの写真を撮ったのかも思い出すことはできないけれど、このイメージの中心にあるのはCCTVの新社屋。この時点では既に稼働しているものの、かつての2009年にはお祭り騒ぎの花火で燃えていた…。 - 年末に近づくにつれて、僕の中でイメージがフラッシュバックすることが多くなる。そのイメージは中国であることが多い。そして、その強度は遥かに高い。僕にとっての大陸は、その名の通り大きく、強烈で、そして大らかだった。 - 日本は忘年会シーズン。色々なところに顔を出す。そして色々な人と話しをすることになる。僕の承認欲求が大きいのかもしれないし、それはそうだと受け入れるくらいの歳にはなったけど、日本人と話をしている時よりも、大陸の人、大陸由来の人と話をしている方が圧倒的に自分の脳と心が震える…というか、日本人と話していてもつまらないのかもしれない、そうは思いたくないし、自分がどうしようもないところにいるのかもしれない。 - 分からない…。 - 地方創生とか、国家とか社会とか会社とか、高齢者とか若者とか、氷河期とかゆとり、さとりとか。そういう記号の背景にある、ロジックや方程式、そこに相対的な立場に由来する変数を入れた結果としての現実との関係を、冷ややかに見て、解決の代替案を考えて、それらと自分の相対的距離を語り合う。そういう話にまで踏み込む機会に僕が渇望しているだけなのかもしれない。 - 日本にいると、互いの問いが浅くて死にそうになる。 - 問いの確度と深さこそが、相手に踏み込むナイフそのもので、 そのナイフで肉をえぐって、血の匂いや味を感じることで、 相手のすえた存在感を手にとることができるんじゃないかと、 - 大陸の黄色い土と、汚れた空気が教えてくれた。 - タクシーに乗って、窓を開けていてもぼやけた景色の中で、隣にいるあいつと、あたる、さわる、問いの中で、僕らは前に進んでいけるんじゃないんだろうか。 - そろそろ、季節なのかもね。探しに行かなければ。

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5【2017年12月14日】XRP高騰してますよね。ずいぶん昔にキャンペーンで幾分か貰ったんです。こう言うのがあるからすごいと言うか、怖いと言うか。。

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