# アクティビティ
1【2日前】表現の不自由と自由がコンセプトなら、ナチスの制服に似てると言われて、お蔵入りになったアイドルの衣装も取り扱って欲しかった。   政治的な文脈を越えて、芸術作品としていいものはいいんじゃないか、を偏らないでみんなで鑑賞するという意図ならよくわかるから。   一方的な主張に一方的な主張を被せたら、そりゃ揉めるんじゃないか?   デザインとしてヒューゴボスはホントにカッコいいと思う。

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2【6日前】去年くらいから、他人のコンセプトだけではなく、自分にとってのルーツやコンセプトを探求するようなことをしていた。   そんな中で、なんとなく心にすっと入ってきたのが、孫泰蔵さんが掲げているビジョンだった。   一般社団法人のLiving anywhereはワーケーションというコンセプトのもと、「時間と空間を超えて働く」っていうやり方を再定義していて、なにかその世界観にとても惹かれた。   僕は一時期はやった「ノマド」みたいなスタイルには全然共感できなくて、なぜかというとそれってつながりを遮断するような文脈で語られることが多かったからだ。   けっきょく、働くってことは他人とどう関わるかということだし、他人とのつながりを一方的に断絶していくとかえって組織にいるよりも生活が苦しくなることがわかっている。   でもなぜこっちに関しては心に響いたかというと、訴えているのは「自由であれることの価値」だけではなく、   「自由であること、とらわれないことによって、他人とのつながりがかえって強固になり、より深いつながりを持つことができる」   という、デタッチメント(関わりのなさ)の価値ではなく、コミットメント(関わること)の価値を訴えているからだ。   これが言語化したのは、とあることからエストニアの本を読んでから。   エストニアっていうと、これも孫泰蔵さんが日本に紹介して話題になったけど、これまでほとんどの場合はブロックチェーンの正当性を裏付けるためのロジックとしてか、あるいは電子化を促進するためのロジックだった。   でも、本を読み解いてわかったのは、それはあくまで手段であって、これもまた、   「時間や空間にとらわれずに人と関わることによって、より生産性をあげて、いいつながりを作ることができる」   というストーリーだった。 これもデタッチメントではなくコミットメント。   正直、NPOや地域のコミュニティの活動、観光PRの案件もとてもやりがいがあるし、それはそれで素敵だと思う。   でも、僕ら世代は働き方を考える機会が多くて、単に「社会貢献」をPRのためだけに押し出すようなロジックじゃなくて、「社会貢献」を取り入れたほうが「成長欲求」「自己実現」に活かせる、という文脈に魅力を感じる人が多いんだと思う。   イケイケの起業文脈っていうレイヤーと、自己実現と社会性っていうレイヤーを考えたときに、自分のポジショニングにずっと迷っていた。   でも、この二つの現象を俯瞰したときに霧が晴れました。   いま考えているサービスも、究極的にはライフワークをみつけるためのサービスだし、 なんとなく気になっていた出来事の点と点が線になったのを感じた。   なんかそういう人たちと、これからは世界観を共有したいなと思う。

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3【7日前】なんでこの件に違和感があるかよくわかった。   Aは間違っていて、Bが正しい、という対立構造を持ち込むと、こうやって対立が拡散する。   問題提起のためのマーケティングとしては成功かもしれないし、これをきっかけにアクションする人もいるし、言ってることはほんと正しい。もちろん、年齢とか性別も意見の正しさに関係ない。   でも、彼女をなんで支持できないのか?というと、こうやって関係のない大人の対立構造の道具にされるから。 子供を盾にして持論を展開する。 そっちの方がはるかに下品だ。 対立が対立を生んでいき、本質は忘れられて、別の物語を押し付けられる。   だから対立軸より新しい提案が必要なんだと思う。   そう思いませんか? https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191007-00000071-sasahi-int&p=2

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4【21日前】ある方と戦略の話になり、マーケティングやマネジメントの、事業フェーズに対するアプローチに関していろんな意見を交わしました。   大手クライアント担当、 もしくはメーカーからよく聞く、   「大企業で戦略を考案したり、管理運営を委任される場合には非常に緻密な設計やロジック、綿密な打ち合わせが必要になり、最大のパフォーマンスを誇る計画をプランニングしたなら、あとはPDCAをひたすらまわして、いかにカイゼンできるかを考えていくべきだ」   という意見について。   そして一つ一つのプロジェクトに対して市場展開前に極端に時間と人をかけて調査、プランニングしていき、要素に漏れがないようにプロジェクトを進めていくという方法。   古典的な競争戦略の教科書にもこういうやり方が推奨されています。   いろんな人と話してわかったことが、こっちのやり方が絶対的に正解ということはなく、むしろいまの時代にはこういうやり方は通用しないケースがほとんどなんだなと思っています。   もちろんいいところもあって、よっぽど極端にバジェットが大きいプロジェクト、かつ複数の人間の承認を論理的整合性のもとに得なくてはいけない場合は、こちらのやり方を採用するしかないと思います。 (公的機関やNPO、それから大手の代理店)   これに対して新規事業を構築する際やスタートアップに関しては、企画を100打ったなかで、市場の反応をみてうまくいったものだけを残していく。そして反応がよかったプランのみを残してあとは捨てるというスキームが一般的。   くだんのN国は国政選挙にはじめてこのスキームを持ち込んだ政党だと思っています。   また、課題や不足しているものについては、基本的に検討されていないものばかりなので、それらすべてについていちいち指摘したり、検討はしない。   やっていくなかで適宜補填していく。   戦略もたしかに現時点では最適化されたものをロードマップとして提案していくが、過剰に詰めすぎるようなことはしても意味がないどころか、コストがかかってかえって取り組みがマイナスになる。   CGの業界には、【1セントのコイン】現象と呼ばれるものがあって、   「完璧な陰影をつけた1セント硬貨という現象は、作品にとりくむアーティスト達が、あらゆるディティールに拘り、何週間もかけるが、作っているのは「誰にも気づかれないサイドテーブルの1セントコイン」   という意味だそうです。   戦略やマーケティングも同じく、時間だったり費用だったり人間だったりと、限られた資源をいかに効率よく使えるか? という問題とは常に隣り合わせだし、 ロジックってこねくり回せばいくらでも詭弁・推論を組み立てられてしまうので、つくりあげられた虚構の数字が生まれるリスクもあります。   さらには、   「90パーセント仕上がった事業を91パーセントに仕上げるためのPDCA」   と、 「0パーセントから50パーセントまで立ち上げるためのPDCA」   は、事業の仕上がりにおうじてコストが指数関数的に向上していくので、ゼロイチのフェーズで各セクションに割くべきリソースとの違いに応じて、両者はまったく違うサイクルになるということなんだなと感じました。   これに対しては、対立軸を   「戦略は科学なのか、直感なのか?」   みたいな単純化して考えるのではなく、もっとも現状に対して最適化されたスキーム、そして実行力をともなった動的なアプローチでプロジェクトに取り組んでいくというのが本当に求められるんだなと改めて思います。   一方で、とにかく無意味に、何のアテもなく、また根拠も戦略もないまま、   「スタートアップはスピードだ!」   とかいって手当たり次第にリソースを使いまくるやり方も、結果的に成果が得られることはほとんどないのかなと。笑 こういう人多いですが。   どちらを否定するというわけでもなく、いちばん現状に即したやり方を採用できるといいのかなと思います。   しかし昨日の夕焼けは綺麗だったなあ。

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5【23日前】VALUER限定投稿

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